水軍太鼓って
2022年1月25日 10時07分日本中で、たくさんの和太鼓集団が活動されていますが、『水軍太鼓』と言うのは瀬戸内一帯だけのようです。なぜなのでしょう。。
調べてみると、和太鼓は縄文時代にはあったとされ、平安時代には雅楽などでも用いられています。戦国時代には戦の合図としても使われていましたが、江戸時代になり歌舞伎などの芸能で使用されるようになりました。昭和になり『組太鼓』とも言われる現在の和太鼓演奏の形態が完成し、新しい郷土芸能となったようです。
『水軍太鼓』は、戦国時代に瀬戸内海で活躍したそれぞれの水軍の戦の様子や活躍ぶりを表現しているようなので、瀬戸内海に面した地域では水軍太鼓と言うようです。松山市では、昭和54年4月に松山市制90年を記念して、「市民が気軽に参加できるものを」と『伊予之国松山水軍太鼓』を創作したようで、瀬戸内海で活躍していた河野水軍の戦いのドラマを和太鼓で表現しているとのことです(松山市HPによる)。
中島では、中島町の頃から『なかじま水軍太鼓』として取り組んでいます。トライアスロン中島大会をイメージして作曲された、『MATSURI』『RUN』『IKUSA』の3曲があり、現在の中島中は『MATSURI』を練習、演奏しています。今年度は演奏を生で披露する機会が文化祭のみでしたが、先日の成人式で録画した演奏を放映していただきました。
「なぜだろう。」と思い、話を伺ったり調べたりしているうちに、新しい知識が身に付き、自分の世界が広がった感じがしてわくわくした気分になりました。みなさんも、「なぜだろう」という探究心を忘れず、小さなことでも調べて、自分の見識の世界を広げていって欲しいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。